ドリームサポーターとっきー

小さい頃から何事もコンプレックスに感じ、自分になにも取り柄がない高校生活から一自分を変えるために都会から田舎で人生を変える男

とっきのおバカ日記

 

はい どうも とっきーです。

 

前回の記事で見てくださった、そうでない方も、とっきーという人間を知ってもらいたいので書いていきます。

今回は、中学の生活について書いていきます。

中学は、毎朝超だらだら適当人間でした。

毎朝七時に起きて、寝ぐせは、一度も直したことがありません。

なんせ、寝ぐせを直さずにいけば、先生にかまってもらえるからです、

ほかの日は卓球部の朝練に、ほとんど毎日行きました。

とりあえず自分は、保育園の頃からかまってちゃんでした。

いろんな人に自分という人間を知ってもらいたいと思っていました。

 

そんな出来事がありました。

8月の事です

学校の昼休みに友達とサッカーしにグラウンドで、とりあえず、適当にやって、

もう汗だくでカッターシャツはもうびしょびしょで教室に入って、おおきな扇風機の前で立っていました。

↓こんなでかいやつだったと思う。

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教室の一番前にあって独占したら、同級生から

お前は、わきがだから、臭いからそこに立つな と言われました。

自分はメンタルがめちゃめちゃ弱いので、その日は、なにもかもやる気が出ませんでした。

 

まだまだあります、

中学の運動会の日だったか、全校生徒がいる前で、自分はある先生が座ろうとした途端、先生の椅子を引いて、尻餅をつかせました、

その瞬間、周りの子や、上の学年のこたちは

あいつやべぇ

とざわつき。

先生はぶちギレ、相談室という、警察署でいう、取調室みたいなところに連れていかれ、一日中説教されました。((笑))

 

その時くらいから 友達との喧嘩が絶えず、連行されているぐらいの問題児でした。

そんな問題児でも一番いやな時がありました、

そう。音楽の時間でした、

中学の時代は必ずというほど、楽器を手にするでしょう。

自分はリコーダーを練習する時間です。

自分は、まったくと言っていいほど、弾けませんでした、

手がまったく動かないぐらい、

なのでテストの日は、みんなに見られるとあがり症でパニックになってなにもできません。

それがほんとに嫌で仮病で休むぐらいでした。

 

このように自分はコンプレックスの塊なのです。

次は、自分のターニングポイントであった話をしたいと思います。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました。。

良かったらコメントください。

 

 

はい どうも とっきーです。

 

前回の記事で見てくださった、そうでない方も、とっきーという人間を知ってもらいたいです、

前回のおさらい

保育園、小学校のころは、ただ人気者になりたくて、行動しまくってたけど、

全部空回りの連続だった。

また野球部に入るも、目が悪いので、レギュラーにもなれず、

周りからは馬鹿にされていた。

 

ではここから激動の中学時代を話そうと思う。

中学は、なんとなく、部活に入らないといけない流れがあった。

中学は全校生徒300人ほどの学校で、友達はほとんど小学校の子たちと一緒である。

部活動は、

野球部

サッカー部→廃部寸前

バスケ部

卓球部

合唱部

園芸部                 しかなかった。

自分は卓球部を選んだ。

理由は、消去法だ。

野球→小学校の時レギュラーじゃないからそもそもできない

バスケ→いけめんの運動神経いいやつがやるイメージだからできない

卓球部→なんとなくこれしかないと思った。

合唱部 園芸部→んー無理

そんなんで卓球部にした。

同じ卓球部のメンツは、運動神経めっちゃいい奴らで負けず嫌いばっかだったが、なんなくやり始めた。

そしたら以外に楽しくて夢中でやってたが、下手だったのもあるが、極度の緊張に襲われて、思うように勝てないし、試合に負けては、泣いていた。

毎週土曜に部内試合があるのだが、それも緊張して、最下位ばっかりだった。

しかし、上位の子たちは、めちゃ上手になって、中三の東海大会では、全国いけるんちゃうって感じだったので、何度か表彰されていた。

自分もたまたま団体戦に勝って表彰されたが、

周りの野球部やサッカー部は表彰なんてされたことがないから、自分たちをめちゃ馬鹿にしてきた。

ついた あだ名は  動く文化部 である。

これを聞いた時は、そんな感覚なかったので驚愕だった。

 

肝心な部内での出来事だが、もちろん喧嘩もあった。

思春期てのは不思議なものでなんでもイライラしていた。

練習で思うようなことがいかないと、ラケット投げたり、友で達を殴りまくっていた。

今考えると恐ろしいと思う。

まあ、いろいろ書きたいことがあるが。

何が伝えたいかというと

 

自分はあがり症でパニックになることがある。

 

中学は動く文化部と言われてた。

思春期って怖いなっとことだ。

 

 

ここまで読んでくれてありがとう、

なんでもいいので思ったこと自分にぶつけてみませんか?

コメントくれるとうれしいです。

次回は中学の生活について述べたいです。

 

 

 

 

 

トッキーのおバカ日記

 

 

こんにちは、トッキーです。

 

前回の記事でブログで見てくださった、そうでない方も、もっとトッキーという人間を知ってもらいたいので、幼少期のことから書いていこうと思います。

 

自分は、後天性の夜盲症を患っている

この事実を高校生の時知った」、眼科にいったら、そう宣告された。治るんですか、と医師の先生に聞くともう手遅れですね。と言われたのがあまりにショックすぎて覚えている。

なので保育園の時から目が悪く、

どのぐらい悪いかというと、

3歳から老眼鏡みたいな眼鏡をかけていた。

裸眼で視力は0.03とか?

視力の表穴の開いている方向をこたえるやつ 上三つしか見えない

<p、 自分が保育園時代の話を、親とか、友達から聞いた話をつなげて書こうと思います。 毎日いろんな子と喧嘩してたみたい。そして。ずっと口開けてて、よだれ受けが毎日ビショビショでよだれマンといわれてた。→これは覚えている

 

そんなこんなで小学生になった

よく小学校一年の思い出とか、細かいこと覚えている人っているけど

そうゆう人ってマジですごいと感心する。

とりあえず自分は小学校の思い出をかけるだけ挙げていこう

 

小学校

二年の時、頭悪すぎて、ばかなことばっかりいってたら算数の時間にめっちゃ怒られて、机の上に正座させられた記憶と、友達がブちぎれ、俺の頭を窓ガラスに強く打ち付けられたっていうことぐらいだ。

そのほかにもありそうだが、今回はここまでにしておく、

要するに、ただ

 

人気者になりたかったのである。

 

相手にされたかった。

 

こうゆう気持ちってだれにでもあると思うが、自分は不器用だった、上に言葉も上手ではなかった。それが結果

すべて自分なりたいと思う逆の方向にすすんでしまったと思う。

 

小学校高学年になると多少理性などが芽生え、女の子にもてたいとか思うのだが、

当時そんなことなんて1ミリも考えたこともなかった。

それよりも真っ先に野球に夢中になっていた。

なんとか上手になりたいと必死で、少年野球チームにも入ったが、

なんせ、目が見えない、しかも運動音痴だ。

外野を守っていたが、日曜の午前の日差しが明るすぎて、ボールはほとんど見えなかった。すべて感覚でやっていた。

そのため、一度もレギュラーなんてなったことがなく、

小学校の野球部員からは、クラブチームはいってるのにダッセえと言われ、バカにされてた。

そしてクラブチームのお別れ会的なことがあって打席に立つことがあり。

そこでは、たまたま、ホームランを打てた、場所はかなり大きい公園のため、打てた時は心底嬉しかった。

しかし、だれにも気付いてもらえなかった。

やっとホームベースを一周したとき、かすかに友達から喜んでもらったぐらいだった

これが自分の小学校の思い出である。

ここまで読んでくれてありがとう。

もしよければ、コメントください。

次回は激動の中学の黒歴史をかきつづりたい。

 

 

つらいのは自分だけじゃない。きっと君も変われる

 

こんにちは、はじめまして、とっきー

数あるブログの中から見つけてくれてありがとうございます。

 

さて、いきなりですが自己紹介します、

形も匂いもわからない食べ物を口に入れようなんて思わないですしね(笑)

 

生まれは岐阜の土岐市という田舎で

育ちは愛知県の名古屋という町の真ん中です。。

大学は静岡県浜松市にいます。

現在大学生の21歳です。

特技ありません

 

このブログをはじめようと思ったのは、

ある同年代の2人との出会いがきっかけでした。

 

東京のファミレスで男三人で8時間ずっと互いの経験をしゃべりました。

すると、すごく興味本位に聞いてくれて、

 面白い

  もっと話聞きたい

 ファンになりました 

 と言ってくれました。

 自分ではこの経験が恥ずかしすぎて、ほとんど喋った事がなかったので

 まさか、こんな反応されるなんて思ってもいませんでした。

 その時思いました。

 きっと世の中には、もっとつらい人がいるのではないかと

 ぜひ文章に起こしてくださいと言われたのでこれをブログに書き残すことにしました。

自分は小学校の時から嫌われ者でした。

こっちに来るな。

おまえと遊びたくないとか言われていました。

その当時はとにかく人気者になりたかった、人にかまってもらいたかったのだ

と思います。

中学になると力が強くなるので喧嘩をして、血が出たり、骨折なんてことも日常でした。先生が家に来ることもしばしば

そして高校受験の時期になって

塾にはいっていたのですが、、

先輩たちからは、野生爆弾とか

同年代からはダウン症なんて言われ、いじめられました

そしてある不良が僕のことが面白い、とか興味本位の噂で塾に入ってきて、殴られたり、悪口いわれたり、ある時には、ひざまずいて、アイスのガリガリ君で口思いっきり、叩かれたこともありました。

(この事件以来、トラウマでがりがり君が食べられないです。)

そして塾をやめて、ほかの塾に入りましたが、勉強に身が入らず

第一志望の公立高校に5人受験しましたが、自分ひとりだけ行けず、

滑り止めで受けた私立高校に進学します。

{ここが本当に不良がいっぱいいてやばかった}

あんまり大きな声では言えませんが、ごくせん(ドラマ)を優しくした感じかな。

自分は、今まで高校に入るまでは女の子と話したことがなく、むしろ嫌われてたかも、。

それまで自分はこんな不細工が女子と話すなんて相手に失礼と思ったし、自信がなかった。

そんな時、同じクラスになった女の子Iさんから話しかけられました

Iさん 『よろしくね~ なんて呼んだらいい?』

自分  あ、うん よろしく~ トッキーでいいよー

   なんて自分に話しかけてくれたの? と聞くと

Iさん だっておんなじクラスになったんだから特に意味はないよーといわれ、

心の中では、もう死にそうになるぐらい、胸がドキドキして嬉しかったのを覚えています。

そこから自分は俺でも心を変えてみればなんとかなるんじゃと思い始め、だんだん勇気がでて、女の子と次第にはなすようになり、彼女もできました。

もしかしたら自分よりも

彼女ができないのは、顔のせいだ。とか

俺には、コミュニケーションがうまく取れないという方に

あいつができるならと勇気をもってほしいと思い 、このブログを書きました。

これから自分の起きた体験談をアップしようと思います、

ここまで読んでいただき 本当にありがとうございました。

コメントお待ちしておりますm(__)m]

 

先週僕は、一週間東京に行ってきました。

↑ここまでは多分あーそなんだみたいな普通だねてきな、

 

ここからです。

僕は、一週間ほとんど金をかけずに、予定も決めず、住むところ決めずに

行ってきました。

 

えええっっ

 

目的は、自分の知らないみたいな世界をみてみたいって不順な動機なんですが、

おいおいとっきーについて書いていこうと思います。

 

 

とりあえず東京に行くにあたってしたこと

 

まずヒッチハイク目指す事にしました

 

住んでいる場所は静岡県浜松市~とりあえず東京までf:id:toki-yhvfjjv12:20180314172905j:plain

 

距離は250キロぐらいかな?

 

やろうとおもったきっかけは

よくSNSで見かけるのが、

 

ヒッチハイク行ってきましたー

ヒッチハイクを経験したおかげで人生の価値観変わりましたー

 

考え方変わりましたー     みたいなつぶやきって多くないですか。

 

 

 

 

ぼくからいうと、そんなことでほんとに心が変わるのかな? とか

あんまり自分はヒッチハイクを否定的だったので

とりあえず やってみよう ってことでやりました。

 

 

 

↓↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 

 

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結果wwwwww

 

 

あんまり変わらない

予想通りでした。(笑)

乗せてくれた優しい方本当にありがとうございました(^▽^)/

一日でたどりつく事ができました。

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今回はこんな感じですね。

 

以上 とっきーでした