ドリームサポーターとっきー

小さい頃から何事もコンプレックスに感じ、自分になにも取り柄がない高校生活から一自分を変えるために都会から田舎で人生を変える男

はい どうも とっきーです。

 

前回の記事で見てくださった、そうでない方も、とっきーという人間を知ってもらいたいです、

前回のおさらい

保育園、小学校のころは、ただ人気者になりたくて、行動しまくってたけど、

全部空回りの連続だった。

また野球部に入るも、目が悪いので、レギュラーにもなれず、

周りからは馬鹿にされていた。

 

ではここから激動の中学時代を話そうと思う。

中学は、なんとなく、部活に入らないといけない流れがあった。

中学は全校生徒300人ほどの学校で、友達はほとんど小学校の子たちと一緒である。

部活動は、

野球部

サッカー部→廃部寸前

バスケ部

卓球部

合唱部

園芸部                 しかなかった。

自分は卓球部を選んだ。

理由は、消去法だ。

野球→小学校の時レギュラーじゃないからそもそもできない

バスケ→いけめんの運動神経いいやつがやるイメージだからできない

卓球部→なんとなくこれしかないと思った。

合唱部 園芸部→んー無理

そんなんで卓球部にした。

同じ卓球部のメンツは、運動神経めっちゃいい奴らで負けず嫌いばっかだったが、なんなくやり始めた。

そしたら以外に楽しくて夢中でやってたが、下手だったのもあるが、極度の緊張に襲われて、思うように勝てないし、試合に負けては、泣いていた。

毎週土曜に部内試合があるのだが、それも緊張して、最下位ばっかりだった。

しかし、上位の子たちは、めちゃ上手になって、中三の東海大会では、全国いけるんちゃうって感じだったので、何度か表彰されていた。

自分もたまたま団体戦に勝って表彰されたが、

周りの野球部やサッカー部は表彰なんてされたことがないから、自分たちをめちゃ馬鹿にしてきた。

ついた あだ名は  動く文化部 である。

これを聞いた時は、そんな感覚なかったので驚愕だった。

 

肝心な部内での出来事だが、もちろん喧嘩もあった。

思春期てのは不思議なものでなんでもイライラしていた。

練習で思うようなことがいかないと、ラケット投げたり、友で達を殴りまくっていた。

今考えると恐ろしいと思う。

まあ、いろいろ書きたいことがあるが。

何が伝えたいかというと

 

自分はあがり症でパニックになることがある。

 

中学は動く文化部と言われてた。

思春期って怖いなっとことだ。

 

 

ここまで読んでくれてありがとう、

なんでもいいので思ったこと自分にぶつけてみませんか?

コメントくれるとうれしいです。

次回は中学の生活について述べたいです。