トッキーのおバカ日記
こんにちは、トッキーです。
前回の記事でブログで見てくださった、そうでない方も、もっとトッキーという人間を知ってもらいたいので、幼少期のことから書いていこうと思います。
自分は、後天性の夜盲症を患っている
この事実を高校生の時知った」、眼科にいったら、そう宣告された。治るんですか、と医師の先生に聞くともう手遅れですね。と言われたのがあまりにショックすぎて覚えている。
なので保育園の時から目が悪く、
どのぐらい悪いかというと、
3歳から老眼鏡みたいな眼鏡をかけていた。
裸眼で視力は0.03とか?
視力の表穴の開いている方向をこたえるやつ 上三つしか見えない
<p、 自分が保育園時代の話を、親とか、友達から聞いた話をつなげて書こうと思います。 毎日いろんな子と喧嘩してたみたい。そして。ずっと口開けてて、よだれ受けが毎日ビショビショでよだれマンといわれてた。→これは覚えている
そんなこんなで小学生になった
よく小学校一年の思い出とか、細かいこと覚えている人っているけど
そうゆう人ってマジですごいと感心する。
とりあえず自分は小学校の思い出をかけるだけ挙げていこう
小学校
二年の時、頭悪すぎて、ばかなことばっかりいってたら算数の時間にめっちゃ怒られて、机の上に正座させられた記憶と、友達がブちぎれ、俺の頭を窓ガラスに強く打ち付けられたっていうことぐらいだ。
そのほかにもありそうだが、今回はここまでにしておく、
要するに、ただ
人気者になりたかったのである。
相手にされたかった。
こうゆう気持ちってだれにでもあると思うが、自分は不器用だった、上に言葉も上手ではなかった。それが結果
すべて自分なりたいと思う逆の方向にすすんでしまったと思う。
小学校高学年になると多少理性などが芽生え、女の子にもてたいとか思うのだが、
当時そんなことなんて1ミリも考えたこともなかった。
それよりも真っ先に野球に夢中になっていた。
なんとか上手になりたいと必死で、少年野球チームにも入ったが、
なんせ、目が見えない、しかも運動音痴だ。
外野を守っていたが、日曜の午前の日差しが明るすぎて、ボールはほとんど見えなかった。すべて感覚でやっていた。
そのため、一度もレギュラーなんてなったことがなく、
小学校の野球部員からは、クラブチームはいってるのにダッセえと言われ、バカにされてた。
そしてクラブチームのお別れ会的なことがあって打席に立つことがあり。
そこでは、たまたま、ホームランを打てた、場所はかなり大きい公園のため、打てた時は心底嬉しかった。
しかし、だれにも気付いてもらえなかった。
やっとホームベースを一周したとき、かすかに友達から喜んでもらったぐらいだった
これが自分の小学校の思い出である。
ここまで読んでくれてありがとう。
もしよければ、コメントください。
次回は激動の中学の黒歴史をかきつづりたい。